うちの子は義務教育期間のほとんどを不登校で過ごしました。
とにかくうちの子は学校にあわない子です。
フリースクールで過ごしたり数年間は学校に行ってみたりはしましたが、義務教育期間のほとんどは学校外で過ごしました。
文部科学省が2021年10月に発表した「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、小・中学校における不登校の児童生徒数は19万6,127人と過去最多となっています。
調査は毎年行われ詳細なデータを残します。なぜなら日本においては「不登校」は「問題行動」として考えられているからです。
不登校は学校制度から見たときは「問題行動」だがうちの子は問題児ではない
うちの子は不登校でしたが「問題児」ではありません。
学校側でいう「問題行動」というのは学校制度から見た一方的な視点におけるものです。
小学校にあがると発達検査を受けるように言われました。いわゆる発達障害の名前もいただいています。
誤解を恐れずにいうなら、発達検査でわかったことは「知能が高い」が空気を読みにくいタイプの子だということ。
おそらく世の中では「変人」と言われるようなオタク気質も持っています。
ここ最近は「ギフテッド」という言葉も広まってきているでしょうか。
正直このタイプは本当に世の中に理解されにくく、親子ともに孤独感を募らせます。できることとできないことの差が大きいためです。出る杭は打たれますから……。
(最近は国もそういう子のために動きだそうとしています)
学校側の視点で見るとたしかに「問題行動」と言われるようなことはあったでしょう。
たとえばなにかに夢中になると、次の行動に気持ちが動かなくなり、夢中になっていることをし続けてしまうようなことがあります。
実際、学校に時間割があるのはうちの子には致命的。
新しいことを学ぶことは、とてつもない喜びの気持ちを持って取り組むのですが、それを時間で区切られ、集中していた学びを強制的に中止しなくてはならないのは「地獄の苦しみ」なのです。
学校では毎日その「地獄の苦しみ」が繰り返されます。
そして学校は苦痛の場所になっていきます。
人は快楽より苦痛のほうが記憶に残りやすいもので、心の中は傷だらけ。
大人からすると、「ただみんなと同じようにしてくれたらいいだけなのに……」と、あの手この手でなんとかしようと躍起になります。
そんな大人の思いを感じとると、子どもの心は余計に傷つきます。
「自分はなんてだめな人間なんだ……」と子ども心に自分の存在を悪いものと感じ、絶望してしまいます。
なぜ私が「不登校は幸せ」と言えるのか
なぜ私が「不登校は幸せ」と言えるのか、なのですが。
少し想像してみてください。
問題児として発達検査を受けるよう何度も勧められ、学校での不適応について頻繁に先生から報告を受けること。当然子育ては難しく、傷つく子どもを前になすすべもなく生きることすら辛くなるような日々を過ごしていた時期もあります。
いま思うと、学校がさせようとすることを私もさせよう、それが正しいのだ、とそう信じていました。
高学年になった頃のこと、右往左往して子どもにあう場所はどこなのか探してきた私は、疲れ果ててしまいました。
私が必死に動いても子どもの心は不安定になっていき、あまりの悪循環にとうとう諦めました。
諦めた、というのは学校に合わせたり、世間の常識に合わせたりすることを諦めた、ということです。
子どものことをまるっとそのまま、どこまでも受け入れようと決心しました。
「楽しい、かわいい、おいしい」。一緒にポジティブな時間を作ることを第一の目標にしようと決めたのでした。
選択肢は多くはなかったのですが、これは私の選択です。
学校にも説明し、協力してもらいました。
「不登校」というネガティブな要素を含んだ言葉をアメリカのように「ホームスクール」と言うように変えました。
前向きな不登校の始まりです。
せっかく不登校なら「好き」なことを全力でさせてあげようと思い、好きな分野で大人の活動しかいない場所にもどんどん参加するようにしました。
主体はあくまで子ども自身であり、私の役割は情報収集と、大人として交渉すること。(あとはお金を出すこと……)
たいていの場所は保護者も参加することで、子どもだからできないと言われることはありませんでした。
「学校はどうしたの?」と聞かれれば「うちはホームスクールなんです」と答えました。
好きなことなら自力でどんどん学んでいき、スポンジのように吸収していきます。
また、もともと人が好きな子なので、人脈も増えネットも駆使し、特定の分野ではなんだか有名になっていきました。
当時はメディアの取材を何度も受けるような状況になりました。
いま、子は成人になりました。まだまだ難しい時代を生きています。
私は「不登校は幸せ」と言いました。
なぜなら子どもと全力で関わってきたので、私は幸だったと思えるのです。
たしかに大変なことがたくさんありました。
それでもその中から自分で選択し、そのとき最大限できることを探してきました。
まるでサバイバルゲームのようです。
いまはなんとか生き残っています。そして、振り返って自分の選択がもし間違えていたとしても自分の選択なのだから、と自信を持っていうことができます。
それは幸せなことなのだと思うのです。
成功や失敗と言われるような「成果」に目を向けるよりも、自分の選択してきた結果なら「満足」できるからです。
これから子どもは子どもの足で立って、自分の人生を歩んでいくでしょう。
親は子どもの人生の中のほんの一部分の責任を負います。その中には親のエゴのようなものはどうしても含まれてしまうかもしれませんが、精一杯やってきたことなら後悔は少なくなります。そのときそのときの、精一杯、最善を選択してきたのだから。
幸せな子育てをありがとう、といまはそんな気持ちです。
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