
日本には「不登校」に対して強い偏見があります。
偏見とは思い込み。
わが子も不登校でした。
今回は不登校の定義など、不登校について基礎知識を書きたいと思います。
この記事をおすすめしたい人
- 「不登校」の定義とはどんなことか知りたい人
- 不登校だと卒業できるのか心配な人
「不登校」には定義があるの?実は曖昧です。
不登校は令和2年度約19万6千人にのぼります。クラスに一人はいるような現状。
不登校には定義というのはあるのでしょうか。
もちろん文部科学省でもあらかじめ定義されています。
よく知られているところでは年間30日以上の欠席です。
ただ、場合によっては不登校人数にカウントされていなくても、学校に対して不適応な状態な子は多くいます。
- フリースクールに通うことを登校日数とする
- 病気(心身)の場合、診断書がある場合は不登校としてカウントされない
- 少しでも顔を見せてくれれば登校にカウント
- 保健室登校、校長室登校、校門タッチ登校
いろいろな状況を考えながら、最後は校長先生の判断になることが多いようです。
フリースクールに行ってる場合、一度も学校に通わなくても校長先生の判断にはなりますが、登校にカウントすることもあります。
また、フリースクールに通う場合でも、月に一度は在籍校の小学校に登校するように、と言われることも多いようです。
基本的に公立校に通わない場合、どんな場合でも地域の公立の小学校に在籍だけはします。
そういうわけで、フリースクールでもホームスクールでも、地域の居場所でも学校に行っていなくても、校長先生の判断で不登校にカウントしない場合もあるということです。
校門タッチ登校なんていうのも聞いたことがあります。
校門にタッチして帰るだけでも登校にするよ、ということらしいです。
誰のための登校なのか?学校のため?子どものため?
不登校が小学校なのか、中学校なのか、というのもありますよね。
中学生になると、進路が気になります。
ここでは小学校の不登校について考えていきます。
小学校の不登校については、まず学校に一度も行かないとしても卒業できます。(その点は中学生も同じです)



学校はさまざまなことをまんべんなく学ぶためにはよいところですよね。ただ、どうしても学校に合わない子がいます。そういう子のことも考えていかなくては……と思うのです。
校門タッチで登校にカウントするようなことに、どんな意味があるのかな、と考えてしまいます。
文部科学省の調査では、不登校の人数は年々増えていっています。
つまり不登校にカウントされていない、学校に合わない子どもたちは、……個人的見解で申し訳ないのですが、上記の調査の何倍かの人数になっているのではないでしょうか。
なぜなら様々な不登校にカウントしないような対応がされているからです。
一度も学校に行かなくても卒業はできます。
ただ形の上では公立学校に在籍することが必要になります。
形の上では、なぜ必要か。理由はいろいろありそうです。
学校や自治体、国は不登校の人数を減らしていきたいのだと思います。
税金は子どもたち一人頭いくらいくら、という形で学校に流れているのですから、すべての子どものために使ってほしいと思うのです。
不登校の定義はあるが、校長先生の判断で不登校にカウントされない子どもたちは多くいます。
現状に即した正しいデータは出てきにくいだろうな、と思います。
「不登校」にカウントされない子どもたちの人数が多すぎて把握できないので……。
学校に合わない子どもたちが「不登校」と呼ばれずに、負い目を感じずに幸せに生きられる方法はないのでしょうか?
私はもちろん、教育や学びは必要だと思いますが、それが学校に縛られる必要はないと思っているんです。
家でも図書館でも博物館でも地域の居場所でも。自然の中でも。



特に小さい子どもたちは自然から学ぶ天才です


学校や国は、不登校を減らす方向からは一旦離れて、子どもたち一人ひとりがいきいきと好奇心のままに喜びながら学ぶ機会を増やすことにエネルギーを注いでほしい、と心から願います。
個人ではどうしても難しいこともあるので、国が主導でやってくれたら助かる人は多いですよね。
具体的には方法論や制度はもちろんのこと、お金の問題は大きいです。
以上のことはすべての子どもたちが幸せに生きるための、「子ども側」からの視点です。
大人側の視点では、いろいろ課題がありますよね。
まず、今現在の先生たちはどんな風に働き方が変わるのか。
制度変更はそんなに簡単じゃない。政治的な課題は山モリ。
でも少子化問題、本気で考えるなら子どもがハッピーで生きられる世界にしていかないと。
日本、滅びませんか?
それに、親もハッピーな子どもの姿を見たいですよね?
親は子どもの将来を心配する生き物。
将来幸せに生きられるのか。ここ、親にとってはとても大事なことです。
ただ、でもね。今より将来の方が大切でしょうか。
将来も大切ですが、今も大切だと思うのです。
いえいえ、そんな、どっちが大切とかじゃなくて!
今も未来も幸せに生きてほしいのですよね、子どもたちには。
まとめ
不登校の定義は最初に書きましたが、年間30日以上など文部科学省の定義はあります。
けれども、「不登校」としてカウントされない子どもたちはとても多くいると思っています。
うちの子は学校に合わない子だったため、不登校と言ってもいいのですが、ホームスクールとしていろいろな学びをしていました。
ホームスクールとは?なに?となる方もいると思いますが、また改めて書きますね。
とにかく、やわらかい子どもの心を潰さずに、子ども時代をいきいきと好奇心のあふれるままに自由に生きることで、将来大人になった時にも幸せに自由な心で生きてほしいと思うのです。
子ども時代も大人時代もどちらも大切ですし、区別なく人生は続いていきますよね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
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